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すきなものこと

好きを模索して謳歌する

鼻詰まりの徹夜大会

冬になると睡眠の面倒事が起こる。

たとえば乾燥による喉の痛み。
寒さによる寝付きの悪さ。
私を今悩ませるのは鼻詰まりである。

少し寝るタイミングが遅れると、空腹により胃が疼く。
本日は充電しながらのスマホで徹夜大会である。

現在ゲームキャラのダメージを回復させてる合間を塗ってブログを書いている。

相変わらず電波回線なのであまり動画サイトで遊ぶわけにもいかず、こうして文字で遊ぶことが手一杯である。

そばで寝てる旦那を起こして会話ともいかず、ネットでの雑談は禁止されている。

時間の使い方がものすごく下手だと自分でも思うが、あくまでスマホの中で抑えなくてはならないのが課題であった。

現在鼻詰まり、胃の疼き、耳奥と足のかゆみで四重苦。
この状態でゲームが順調に進まないというストレスを味わいたくないのが実情だ。

娯楽というのは難しい。物の面積によるプレッシャーと飽き性なことを踏まえて私は生産趣味より消費趣味の方が性に合う。
これでも刺激には飢えているのだ。
ただストレスの許容範囲と集中力の短さが楽しいという感覚をどこかにすぐ消し去ってしまうのだ。

物を買う不安と私の親でなし

私は働けないから物が買えない。

しかし2万円をふと渡されても物を買うのに臆病である。

 

私の実家はNECのうなぎのぼりで金銭感覚が愉快な家であった。

ゲーセンに行けば一万円が飛び、外食もまぁまぁ行ける。

父の口癖は「金はあるうちに使え」である。

 

そんな私は誕生日と何故か入賞するコンクールでゲームを買ってもらう。

裕福であった。豪邸とかではないし犬が駆け回りもしない。

しかし私はゲームを持つことである恐怖に襲われることとなった。

「ゲーム捨てるよ」という脅し文句である。

父も私がゲームで悔しがってムカムカしてると

「そうなるくらいなら捨てなさい」とマジギレしてくる人だった。

ゲームは楽しく充実していなきゃいけないという完璧主義に取り憑かれた。

 

あとは「必要なものだけ書いなさい」という発言だが、

たぶん年齢独特の口癖である。本当面倒なお年頃である。

 

一方で母親は「〇〇しないと捨てちゃうよ」という人間である。

この〇〇の部分は勉強とかが入る。

しかし私は進研ゼミと宿題はやっていた。しかし怒られた。

未だに何故だろうと思う。たぶん家の手伝いだ。

しかしこの親、子供がやると遅くなるのでやらせないという存在。

手伝いをしているというより、させてもらっているという感覚に陥る。

褒められたいのは相変わらずだが、方法がわからないのだ。 

 

これに輪をかけて私が物を買うのに臆病になった理由というのは

「せっかく〇〇買ったのに売っちゃうの?捨てちゃうの?」

という発言をする人間なのだ。たまに何か捨てなさいとキレる。

次に何かが好きになった時にも

「どうせ飽きちゃうんだしいらないんじゃない」と言ってくる。

ここまでくると何を好きになれば正しいんだと思い始めるのだ。

漫画本集めとか買うのが怖い。ヲタクにとっては地獄からの叫びである。

 

その影響で私はパソコン内の娯楽がとても気楽に楽しめた。

手にものがない。親の目に入らない。なんて楽なんだ。

加えて食べ物に固執するようになった。

親も食べるし、ケチつけられない。残らない。最高である。

おかげで食べ物と食べる空間にうるさい女になった。辛い。

食べ放題でゲロを吐く子連れにキレる

旦那は食べ物なんてどれも変わりないと言う人である。

そんな旦那が食べ放題を提案するのは相当珍しい。しかもディナー。

るんるんと食べ放題に行くわけだったのだ。

 

以前にも一度行ったことがあるお店であるが、

旦那と行くのははじめてのことである。

案内されたのは片側テーブル、片側ソファの席である。

 

その隣には子連れの母親がおり、

「良いお店だよね、美味しいよね、また来ようね」

狭い椅子でスプーンも持てない子供に、

ぎゅうぎゅうと座りながら食べさせていた。

この時点で察するべきだったのだ。

 

私がデザートに入り、お皿を持ってきた頃、

子供が嘔吐していた。それはもうビシャビシャと。

席と席の間には対して合間がないので、

臭いでもらわないかとても不安になった。

 

しかし子供のゲロで私がこうして怒っているのは、

デートだからというわけではない。親の対応であった。

 

「アルコール消毒しようね、アルコール消毒しようね」

「新しく服買おうね、下の服屋で可愛いの」

そうこの親、子供の嘔吐がわかっているかのような対応なのだ。

 

店員にもとても手慣れた対応をしている。

そこで私は沸点が尋常なく上がっていた。

「わかっててこんな店に連れてくんなよ!」

と叫びたい。そうこの店こってりしたものばかりである。

少なくともちびっこがばくばく食べれるものは多くない。

ソーセージ、からあげ、カレーとおこさまメニューは濃いものである。

 

店員はさぞ丁寧に。親子はお金を払ってそそくさと出ていった。

その後に私達は移動させられるわけであった。

正直隣でゲロを吐かれた後に食事出来る程強くない。

二人で六千円だが私は対して食べれないまま終わった。

(ここで大した価格ではないというのはやめてほしい)

オーダースイーツも、ディナー限定メニューもまだ食べていなかった。

 

母親が子連れを連れてくるな!と叫ぶほど豪華な店ではない。

子供は体が弱いものだし、母親だって食べたいものはある。

しかし子供が吐きそうなのをわかった上で個室でもない店に、

それも季節を考えるとウイルスも危ない時期に外に出したことが許せないのだ。

体質なのか、そういう風邪なのか、どちらにしても許せない。

 

「大丈夫、大丈夫」

「新しい服買おうね」

そう自分を慰めるために延々と語りかけ続けていた。

たぶん冒頭の「良いお店だよね、美味しいよね、また来ようね」

という台詞を聞く限り形見が狭い思いをしているかもしれない。

しかしそれくらい当たり前のように吐くなら個室を探して欲しい。

 

あまり子供に詳しくこそないが、

胃が弱いのならもっと食べれそうなものがある店を選んでくれ。

ディナーの価格で安くもないんだし、そういう選択肢あるだろ糞!

と食べれなかったデザート達とイライラによる腹痛を抱えて叫ぶのだ。

 

正直これで旦那に心の狭いやつと思われてたらたまったものではない。

せっかくの久々のデートだったのに!という個人的な怒りもある。

ただこれだけは言わせて欲しい。

「吐きやすい奴をこんな場所につれてくるな!」

 

ちなみにお店の対応はよかったです。

だけどしばらく外食はやめておきます。

恋心に確信はあるのか

今週のお題「恋バナ」

私の恋心はいつも恋心と少し違う。
最初は好奇心、その後に崇拝。
相手が二次元なのだが、浮世離れした雰囲気が魅力だ。
どこか危うげで儚げで中性的、その匙加減は芸術の域である。




まぁそれより真面目な恋バナをしよう


小学校にいれば誰かが書くであろう相合傘。
クラスメイトの男女の名を書いて妄想する姿を見れば、
「みんな恋に恋してるなぁ」とちゃおも読んでいない私は思った。


カードキャプターさくらは気持ちが行き来しているが、
さくらちゃんが雪兎さん(優しそうな眼鏡)に告白して、
その好きはお父さんへの好きと同じようなものじゃない?
というような話を聞いて「好きって難しいなぁ」と考えたりしていました。


大人っぽい女の子とボケ担当男子ツッコミ担当女子は応援してました。
知世ちゃんとか桃矢くんなんてまだわかんないよ?鈍感な子供だもん。


その頃はセーラームーンも見てたのですが、よく性別に悩んでいました。
結局わかってないまま見終えてた気がする私です。


それを見ていた私はというと、「好きだと思うべき義務感」がありました。
「子供は親が好きなものだ」「子供は友達と仲良くするものだ」
なので自分の好きが本当の「恋」を意味する好きなのかわかりませんでした。


好きなんでしょうと話のネタにされると、
「恋って面倒くさいな」と思うこともありました。

私は発達障害で、人への関心の持ち方も拘りによるもので、
人と比べると好意の持ち方が少しずれていると思います。
一緒にいて幸せな人は好き。だけどそれだけで恋と呼べない。
だから医師の「好きの気持ちは結婚した後についてくる」
という言葉をほんのすこし信じるしかまだわからないのです。

スマホがないと耐えられない

スマホの電池が切れそうだ。
寝室で寝ながらパソコンをするこの家は夜に音を立ててはいけない。
コードが充電機からパソコンに繋がれてしまっているが、抜くわけいかない。
寒い季節には布団の中以外に長居できる場所がない。
そもそもパソコンを使えないので何もないのだ。
私は自分の脳みそとその中の記憶に付き合うことにかなり疲れている。
脳みそをかき回しても死にたいに至る病である。

とはいえ楽しい妄想をふくらませるのもスマホあってのことだし、
それを書き留めるのもスマホ担当。
自分の寂しい夜を慰めてくれるのも長年スマホ

夜を歩くのに音楽聞くのもスマホ
残量10%に恐れながら歩くのは辛い。

自分からにげたくてにげたくてしょうがない。

誰の理想にも歩み寄れないけれど

私が死にたいって思う時は自己逃避したい時らしい。

旦那さんはなぜか人の考え方を想像するのが上手い。

私の脳みそがどんなもんか想像がつくらしい。エスパーみたいだ。

 

 

ただ私の逃避の仕方は全く上手ではない。

昔は何を見るわけでも買うわけでもなく夜道を歩いていた。

 

 

親の許可を得る行為がなんとなく嫌で、

靴を持って二階の自室からウッドデッキ、塀から道路。

きままな猫のようになろうという茶目っ気と、

ここで死んでしまってもいいという軽はずみ。

 

冬のひんやりとした夜風の浴びながら、

景色を見るわけでもなく妄想をしていた。

 

もしここで警察に合ったら、もしここで不良に絡まれたら、

誰かにさらわれてしまったら、事故にあってしまったら、

自分に傷がつく想像をする。道に迷うことも気にせず歩く。

夜は危ないという一言から妄想をふくらませる。

 

耳元でJ-POPではなく、アニソン。明確に言えばキャラソン。

歌詞は病んでいるものをチョイスする。

他のものは当てつけみたいで聞きたくなかった。

それを脳みそを殴りつけるように、何も思い出さないように、

大音量にして練り歩いていた。

 

いつの間にか二駅先に来たら満足して帰っていた。

2時間は歩き続けた。体力はないがまぁまぁ歩けたはずだ。

 

 

そんなこともあってか、今を生きるのがとても苦手だ。

降りかかる言葉と過去に積み重なった言葉が頭を回る。

人の声を聞くのにもとても弱くなった。

女子小学生の笑い声にびっくりして、

少しの時間硬直してしまう程だ。

 

今はもうなんとなく歩く先もわからず、

出ようとしたら旦那さんに足を掴まれるので、

こうして文字を並べる作業をしている。

 

私は自分がどうしたらいいかわかりません。

指示を貰いに行ってたこともありますが、

指示の大半をそのとおりに出来ず、

いろんな人に嫌われていました。

 

なので自由に出来る力がなく、好きに歩けない今が、

自分の非力さで悲しくなることがまだたくさんあるけれど、

何かになることを望まないでいてくれる。

焦る足を掴んでくれる人がいるこの場所がやはり好きなのです。

ブログに帰ったよ

またブログを書くことにしました。
だけど中身のあるブログは難しい。
なにせ飽き性だと打ち込めない。

通知表には欠かさず繊細だと書かれ、
すぐ混乱してしまう私が情報の海を巡るのは、
刺激によって、我を忘れてしまいたいからだ。

人と出会うことで刺激を促そうという話も聞く。
手や表情、声色のすべてを受け取る能力が足りない。
わからないこともある以上に、受け取りきれない。
文面の中でわからない言葉を検索しながらのメール。
人と会わないことを時間が勿体無いという人もいるが、
私にとってはこれが精一杯で、限界。
もう満腹。これ以上はお腹を壊してしまうでしょう。

そう言っても勿体無い、可哀想だときっと誰かは言ってくる。
ただ満腹の時にデザートを見せられても食べれないのです。

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