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すきなものこと

好きを模索して謳歌する

あの日ふてぶてしかった私

今週のお題「私のタラレバ」

中学の頃には道徳の教科書をずたずたに引き裂くほど人間不信になっていた。

我慢出来やしない癖に人一倍大人の視線が気になって、大人の優しさが欲しくなれば、良い子にもなりたかったし、勉強を教えて貰う姿を見れば悪い子でも、馬鹿な子でもいいなんて考えていた。
だから私の承認欲求はいつも私を焦られるけど行き先なんて全く示しはしなかった。

それでも褒められはしたかったのだが、グループ活動の中でいつもお荷物である私は、グループに参加するよりもしない方が周りが楽しく快適なのだというのをただただ体験するしかなかった。

ADHDと極度の癇癪持ちの私は耐え抜く美しさなんてものとは無縁。ヒステリーに愚痴を言うとか、手に爪で傷を残しながらとか、学校でのストレスにもすでにそう反応をしていた。

嫌な記憶が残りやすい私は人と関わらない方が幸せだった。それが無理だったのは大人の要望でしかなくて、私はただ自分が叱られるリスクが増えるだけの友達を作ることを億劫に思いながら公園にいなくてはならなかった。

歩く地雷の存在は昔から同い年には煙たがられるし、親には心身に嫌味を浴びせられるし、人といればいるほどに自分を嫌いになりながら生きてきた。

手足があればなんでも出来るといった父に反して私は手先が不器用の泣きべそであり、泣くくらいなら捨ててしまえとゲームを捨てられそうになったことは何度もあった。
人を大事にしろと教える母は私が同級生と些細な口喧嘩をすれば私が悪いとか人としてどうなのかとかそういう話をするが、私が遊んでる子に石を投げられても傷の手当はするがその相手を咎めなかった。

私が道徳に対して不信を抱くのにはそういう理由があり、一般的に自他共どもを守る道徳は、私には適用されていなかったのだ。

私が未練たらしくしている物事も、道徳とは反している。誘拐されとけばよかった。

小学校の頃に車の中も顔も見えないおじさんに話しかけられた時、私は下校途中でイライラしていた。近所にしかと告口女と、唾を吐いてくる小僧しかいなかった私は一人で下校していた。

あの時、優しく小学校らしく初々しい対応をしていれば、少なくとも今よりは大きな苦しみになろうと苦しみの数は少なくなったかもしれないと思うのだ。

さすがの親もこれには怒り、私も早々と精神科に連れ出され、発達障害の診断と共に「普通にできる自分」を求められずに穏便に暮らせたかもしれない。社会のレールの中でPTSDになる人生からは逃れられたかもしれない。
ぽんこつな癖に普通に見える自分の体も恨まずにすんだかもしれない。

他に望むのであれば生まれてこなければよかったとか、もっと遅く生まれたかったとか、そういう望みになってしまうだろう。