すきなものこと

好きを模索して謳歌する

陽キャ嫌いでもいい気がしてきた

9月がやってきました。芸術の秋、センチメンタル到来の秋です。

私は明るい人が苦手です。
それは自分が根暗だからとか、親に明るい人になれと言われすぎて疲れたとか、明るい人(ようするに陽キャラ)になれないことで自己嫌悪していました。

しかし旦那さんと過ごして何故明るい人が苦手だったのかわかるようになってきました。

私は明るい色も好きになれず、着るとしたら明るい気分になれるようにと親に勧められて仕方なしに黄色や赤を着ていました(部屋着)

私は大きい声も嫌いで、いつもびっくりしたり怖くなったりしていたのです。笑い声はとくに苦手で、手を叩いて笑う姿に尋常でない嫌悪を抱いて生きているのです。

そんな私の話や様子から、旦那さんは私に教えてくれました。
「過去の記憶に繋がってるだけじゃなくてそもそも恣意行為が苦手で繊細なんじゃないか」

そう言われて私は幼稚園の頃、リア充のテーマパークと言われる某夢の国で怖くて大泣きしてた自分を思い出したのです。

私は元々刺激的すぎるものが苦手だったのです。大きい声も、派手な色も、突然の大きい音も。
とくに大きい声の人はたまに怒ったような声を出すので不快感が強かったのです。

「大きく口を開けて笑ってる人が苦手なのも威嚇してるように見えるからだと思う、小動物並に怖がりなんだよ」

と言われると納得してしまいます。赤が苦手なのも攻撃色が理由かもしれません。

海、バーベキュー、合コン、宴会、どれも私には縁がなく、それをキラキラした舞台だと語る人もいます。

そこにいられない人生を送ってるのが私の性格が悪いからではなく、そこにいるとひたすらに頭に響いて疲れたり、びっくりしてしまう本来の気質、体質だったからというのがわかったのです。

陽キャ嫌いは受け取り方の問題ではなく体質からきてるもの。そう思うと少し気楽になった気がします。

おかげで相変わらず大きい声は嫌いですが、私の性格が悪いからという頭の中に残った親の声に、それは違うと言い返せます。そもそも声のコントロールもしてない相手から咎めるべきと言えます。

好きなこと探しには嫌いなものを見つける作業も必要なので、嫌いなもの、苦手なものがあることこそ邪見したくないものです。