すきなものこと

好きを模索して謳歌する

夏の風から、秋の風

夏の装いでは夕方冷えを感じるようになりました。
七十二候では天地始粛(てんちはじめてさむし)
暑さが静まる頃なのだそうです。

おかげでエアコンの助けも必要なくうとうと出来て心地良いです。
乾燥もこれからなのか電車のベンチで静電気を起こして驚いてしまいました。 

旦那さんは私よりも動物に触れたり外で自由だったからか、季節の移り変わりを感じることが上手いのです。



私は見たものをそのままに語ることしか出来ないので、つまらない脳みそをしていると言われます。

何か良い話のようなものを見れば、頭から父親のその通りだとか、見習いなさいという言葉が響きます。

ほのぼのとした話を見れば、神経質である私の価値観を母は責め、大らかに人を許し、心を広くという願望を私に押し付ける声が聞こえるのです。それがどれだけ矛盾ばかりを抱えていても。

私の頭はいつも憂鬱に作られているのです。

自分の価値観ではなく、愛らしい子供という価値観を選ばなくてはならない葛藤から私はよく悩んでいました。

実際の物事に対する理想的な反応と自分の反応、理想的な反応の為には親が思うほど周りは幸せなお花畑ではなかった事実。

そういうものを比較すればするほどに、どう言ったら喜んでくれるか、どう思ったら可愛らしいかを考えるほどに冷めていってしまったのかもしれません。

だからこそそんな自分の頭を停止させてくれる冬の冷たい空気が私は好ましく思っています。